自分、解体深書。(仮

という(仮なEi's diary。

1_WALL

1_wall展この前混んでたから、改めてまたゆったり観に行ったら、(まぁ、もう終ってますけど)やっぱりじっくり見ると違って見えたなー、んでポートフォリオ見てまた作品が変わるし、いつも作品の一片しか見れてないんだなぁとボンヌリおもた。作品の数だけ楽しみ方もあっていいだろし、作品を深く知る楽しみってのを知りたい。 

なんか今更だけど、作品として成熟してるってか、完成されたものを作るには、一般から何か秀でたものを創り出さなきゃならないわけなんですよね。

写真だったら、画像のクオリティというか、フィルムのようにデジタルには無いきめの細かい緻密さだったりだとか、画像の表現力だったりだとか。

まぁ、写真だと画像の部分以外で評価されている作品はいくらでもいるだろうけどそれは、それ以外で作りこまれた世界観だったり考えだったりがあるわけで。。。

社会性だとか、人間の心情だとか・・・ 

 

まぁ、言ってしまえは、一般に埋もれてしまうようなありきたりな考えじゃ何も面白みが、無いと。かと言って、面白くしようとして大衆に向けた作品なんか作ろうとしようものなら、逆にたたかれるのがおちなんすよねw

そもそも、新しいことやろうとしたら、先人が誰かしらやってるというオチがつく。

じゃー、どーせーっちゅーねん。どうにも出来ませんね、自分には。

そんな事考えてたら、自分には何も出来ません。何も考えずに目の前に写るもんを映すことしか自分には出来ませんわ・・・アハハ。