自分、解体深書。(仮

という(仮なEi's diary。

逝った展覧会云々。5月辺りの。

フランシス・ベーコン展

また年の半分超えてないけど、既に今年一番と言ってもいいほどぐっときた。初っ端から叫びのシリーズに魂もってかれました。これが衝撃というものです。

一件無駄とも思える線や円、背景にもとても上手い視覚効果をもたらしてると見えた。一見、キュビズムのように見えたが、キュビズムは線で刻み込んでしまっている点で身体性からかけ離れたところにある感じがするのに対して、ベーコンの作品は身体性と切っても切れないところにあるとヒシヒシと感じた。

とても無駄を排除して、一見感覚的に描いてると思われたが、とても考えつくされて描いてると見えた。写真を使って、描いてると言うのを聞いていたが、その写真の破れだとか絵の具の汚れだとかをそのまま取り込んでしまうだとか、偶然を上手いこと撮り込んでいて、偶然と必然がうまく融合してるなと思った。

ガラスの見難さがむしろ作品にあってる気がした。作品の中に、見ている自分、観客の人々が写り込む事によって、更に作品を通した自分や人の身体性がより強調された形で意識させられる気がした。

美術は美しい芸術と書くけれど、これは断じて美しくない。しかし、そこに衝撃がある。内からこみ上げる衝動をここまで感じれる絵画ってのを今まで出会った事がありませんでした。 写真で写らない感情だとか、その場の雰囲気、そんなものまで絵画に書き写されている気がしました。ある意味病んでいる。そんな気さえする。ヤンデレってこのための言葉かとさえ思ってしまったw

 『戦艦ポチョムキン』 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督 - YouTube

 

マリオ・ジャコメッリ展

これも、ヤンデレ感はんぱないw 病院での写真の雰囲気と白と黒、フラッシュの撮影で強調された雰囲気。積み重ねられた老人の皺の深さ。風景写真を俯瞰的に捉えデザイン的に捉えるセンス。 ところどころに刻み込まれた詩。

なんかこういう、大衆を省みないというか、自己を追求した作品のようなものは、見ていて飽きないし、見れば見るほどその新しい境地に溺れる感覚というものが心地いい。これからもそういう作品を見てきたいなぁと思った今日この頃。

 

これから見たいなぁとボンヌリ思う作品など。

写真のエステ - 五つのエレメント

日本写真の1968 この前都写美の下の本屋で展示に関連した本見たら散在してしまいそうな位だったんで自重出来るか心配w

アントニオ・ロペス展

ソフィ・カル展

 オディロン・ルドン展

悪の華 の花?の絵見た時は、そん時は名前出てこなかったけど、ルドンまんまやんとか思っててちょっと冷めた目で見てたけど、実際、ルドン描いてたんやな、悪の華。 イメージまんまやもん。

何かこういう、病んでるってか狂気じみてるってかそういう絵とかの方が感じるんだよなぁ… 華やかな絵とか、大衆的な絵とか何か変な魂胆とか見えるというか考えちって、なんだこのクソムシがとか思うわ。