自分、解体深書。(仮

という(仮なEi's diary。

意図、糸、井戸

写真見てると、時たま撮ってる時はこうだったんだろうなぁって記憶が流れ込んでくる(ってか勝手に想像が膨らむだけだと思うけど)時あるけど、そゆのって作者の意図てか策略にまんまと嵌っているんだろうか…

そいえば、久々に写真撮りに逝ってこんなにもワックワクするのかと思って自分でも驚いた。

やっぱ好き勝手に好きなもん撮ってるのが一番いいわ♪ 

逝く前は、どんだけ駄々をこねる餓鬼何だこいつはって位に、イジイジしてたのに、被写体見つけるとアドレナリンでまくりで困ったわw

ニヤニヤしすぎて人様にはお見せできないw

んでも、このドキドキは、恋の吊り橋理論じゃねーけど、こんなん撮ってたら、誰かに怒られて警察呼ばれんでねーのかとかそんなのが怖くてドキドキしてんのを錯覚して、楽しくてドキドキしてんのと勘違いしてるんじゃないかとか思ったりもするので、ちょいと冷静に自分で考え直さないとなとは思うのよねぇ…「これが本当に自分が撮りたいものなのか」と。

んでも、この糞つまらん世の中に閉口して、ウダウダ人生浪費する位なら、少し位、錯覚させられてみても良いんじゃないかなとか思うんですよね。これがまやかしだとしても。